タイトルのとおり!

自分の価値とは

葦原みゅうちゃんをご存知だろうか。

16歳の時に事故で両足切断。

現在は車椅子で生活している。

 

みゅうちゃんは、

足が無くなったことに落ち込んだことは

一度もない。

他人の目も気にならない。

加害者の人にも、反省はしてほしいけど

ネガティブな感情で生きていてほしくない

そう言う。

 

嘘か本当かわからない。

いや、だって嘘でもそんなこと言えない。

それくらい、私にとっては信じ難い言葉。

 

だって、両足がなくなるって

見た目のこともあるし、

やっぱり不便なことが増える。

誰かに手伝ってもらわないとできないことが

たくさん増える。

想像に容易い。

 

みゅうちゃんは

今でも人生楽しく生きてるよ、と言う。

足がある前となくなる前で

そんなに変わらないよ、と言う。

 

私にはもう、理解ができない。

犯罪者の言い分の方がまだ理解できる。

 

もちろん、足を失ったら

一生不幸なんだよ、なんて言うつもりはない。

だけど、自分に置き換えたら?

生きていける気が一切しない。

足がない自分なんて、、と思ってしまう。

(みゅうちゃんに対して思ってるわけじゃないです。)

 

言ってないだけで

もしかしたらみゅうちゃんにも

足を失ったことにネガティブな感情があったこともあるかもしれない。

でももし、みゅうちゃんが

嘘なく、上に書いたことを思っているとしたら

きっと、みゅうちゃんの価値基準は

自分が何をもっているかではなく

自分の存在自体が価値のあるものなんだろうな

 

尊敬とか、なんか

言葉では言い表せないよ。

だけど、尊敬としか言い表せない。

そんなことできる人が、この世にいるなんて思わなかった。

ただの綺麗事じゃんって。

 

みゅうちゃんを見ていると

自分はないものばかり見ているんだな、と

再認識させられる。

だって、みゅうちゃんを見ている時ですら

でもみゅうちゃんは美人だから

モデル活動ができているんでしょ、

なんてまた顔のことを言い始める。

そんな自分に割とうんざりしているし

みゅうちゃんに失礼すぎる。